中村時広

昭和35年1月25日生まれ
趣味/読書、スキー、バドミントン
尊敬する人/福沢諭吉
座右の銘/至誠通天

【中村時広事務所】

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時の風 中村時広がお届けする発行紙「時の風」

1999年3月号 「新たなる道のり」

吹き始めた風

昨年中頃から私のもとに、「松山市長選挙に出馬を」という声が数多く寄せられるようになりました。

私自身は、二年前の衆議院選挙惜敗の翌朝より松山市駅街頭演説に立ち、今日まで次回再チャレンジ向けて活動を続けて参りましたので、寄せられる声のありがたさを感じながらも、お断りを続けて参りました。

今年に入り、全国的にも注目された正月県知事選挙を境に、保守王国・愛媛の政治に一大変革の波が訪れました。

おそらくはその影響が大きく作用したのでしょう「愛媛が変わった、松山も」というような空気が広がる中で、電話、手紙、面談などを通じて市長選挙の話が凄まじい勢いで私のもとに寄せられることとなりました。

それでも国政を目指す気持ちに変化が生ずることはなかったのですが、やがて、私に対する出馬要請の署名活動が始まっているというニュースが飛び込んで参りました。

目覚めた人々の思い

一月二五日、署名活動をされている代表者たちが、私の事務所に来訪されました。
その方々に対し、私の複雑な心境を率直に伝え、早急に関係者との面談の機会設定をお願い致したのです。
翌日の夜、関係者約一〇〇人の方々と話し合うこととなり、マスコミの方にも来ていただいた席上で、「皆さんのお気持ちは政治家冥利につきることで、本当にありがたいことですが、私にも立場があります。署名活動の拡大によって、私の国政への道のりが困難なものとなる可能性もありますので、生半可なお気持ちでおやりになられているのであれば、すぐにお止め頂きたいのです。」
と申し上げ退席を致しました。
これでこの問題も終わりとの思いでいたのですが、あにはからんや、署名は逆に拡大の一途をたどり始めることとなったのです。後日関係者にお聞きしたところ、私が退席した後、お願いしますと言われると思っていたら止めてくれという、出たい人より出したい人、絶対に引っ張りだそう、ということになったとのことでした。また、その行動がマスコミに流れたことを受け、そんな動きがあるのならこちらでもと、いくつかの他グループも署名活動を開始され、最終的に実に六四種類の名簿に六万人を超える署名が私の手元に届けられました。

大バカヤローたちの出会い

その間、今までそう繋がりもなかった三名の市議会議員が、市民グループと同じく出馬要請を申し入れに事務所に来られました。「他の人を探して欲しい、一緒にその人を応援しますから。」とお応えした私に対し、彼らは「イエスの返事はもらえないが、自分たちも相当なる決意と覚悟をしている。
行動を起こすことで、その気持ちを証明します。」との返事を残して帰られました。翌日から彼らは言葉通り行動を開始、所属する自民党の役職を辞任、一月二九日には三人揃って私に出馬要請する旨の記者会見を実施し、再び事務所を訪れられたのです。

「約束は守りました。後はあなた次第ですよ。」
「私も大バカヤローだが、あなたたちも大バカヤローだ。私が受けなければ政治家としてどのような立場に立たされるのか、わかっているのですか。」
「充分承知の上です。」

そんなやり取りをして、彼らは立ち去ってゆきました。

プロ政治の真骨頂

一方、私の出馬をこころよしとしない現職サイドの動きは、平行して活発化することとなりました。
あらゆる団体、政党が、矢継ぎ早に現職推薦を決定するニュースが流れ始めました。
その数は実に八〇〇を数えるとのことでありますから、猫も杓子もと言えなくもないのですが、凄まじい体制であることに変わりはありません。更には、次期衆議院選挙において、ある方が民主党から愛媛一区で出馬することを表明されました。
私は次回衆議院選挙に向けて、保守王国愛媛の地盤で、なおかつ小選挙区という厳しい制度の下で議席を得るためには、非自民の政治勢力を結集した上で民主党公認候補で戦うしか方法はないとの思いで、細心の注意を払いながら二年間の政治活動を続けて参りました。もちろん、後々の候補者調整ということで出馬はできるのかもしれませんが、それぞれの信頼関係を最初から組み立てることは至難の業であります。
新聞記事を眺めながら、二年間の努力が水泡に帰してしまった、そんな思いが頭をよぎりました。

決断の時迫る

この時期の私の心境は、生涯忘れることのできないほど、激しく揺れ動いていました。生来の楽天家である私にとって、三日三晩寝付くことのできないことは初めての経験であります。
脳裏を目まぐるしく渦巻いていた課題は、おおよそ三点でした。
一つには、保守的土壌であるがゆえに、自発的な行動の起こりにくい愛媛において、市長選挙を自ら考えようという市民の自発的な行動は驚くべき事であり、まさに民主主義の原点であるその貴重な芽というものを、自ら摘み取ってよいものかどうかということでありました。
二つには、政治生命をかけて行動を起こした市議会議員の心意気というものを、政治家としてどう考えるかということでありました。
三つには、国政を目指すにあたって非自民勢力結集という目的に向かって築きあげてきた信頼関係が振り出しに戻った今、それを再構築することが時間的に可能かどうかということでありました。

あっと驚く新事実

袋小路に迷い込んだ状態から抜け出すために、松山市というものが一体どのような状態にあるかを分析することにしたのです。
市に直接問い合わせても、出てくる資料は知れています。
そこで、国会議員時代に培った人脈をフルに活かして、外側から松山市の現状を調査させて頂いたのです。
そこには市民にも、市議会にも知らされていない、驚くべきデーターが並べられていました。(このことに関しましては次号でご紹介致します。)
また、地方の時代を迎える中で、地域間の知恵比べ競争が始まってゆきますが、この松山市が将来どこに向かって進もうとしているのか、その方向性も見えてきません。ここに私なりの、市長選出馬に向けての、大儀名分を見つけることができたのです。それは、松山市の抱える課題を乗り越えて、どこにも負けない「日本一のまちづくり」を行ってゆくということでした。

道は決まった

最後の決断の時を迎えました。
そしてその土壇場で、私なりに心の整理をつけなければなりませんでした。
800団体の推薦体制を誇る現職候補に、いささかの恐れも抱かずに立ち向かう気持ちを持つためには、どうしてもそのことが必要だったのです。
また、国政を目指す中でお世話になった方々の一部に、市長選挑戦によってご迷惑をおかけすることになる立場の方がいらっしゃいますので、その方々に対する自分なりのけじめもつけなければなりませんでした。
失うものを持った人間は、本当に弱いものです。
しかしながら、失うものを持たない人間は何ものも恐れない強さを持ちえることができます。
その両極端の心情を、この短期間の間に経験させて頂きました。
到達した結論に対しては、勿論賛否両論があり、おしかりの言葉を受けることににもなりました。
その結論とは、この一戦に全てをかけるということです。
これでだめならばまた国政へという気持ちを捨て去ること、それは政治家としての自分なりの美学でもあります。
二六歳の時から一環して政治の道を歩み続け、そのことに自分の人生をかけてゆく決意であったが故に、その心境に到達するまでの悩みは大きいものでした。
「我が心に一点の曇り無し」、ようやく、その心境に到達することができました。
「松山市を日本一のまちに」という目標に向かって、市民の皆さんと歩んでゆきたい、その思いをただひたすら訴えゆこうという気持ちで、選挙戦に臨んで参ります。
皆さんの暖かいご理解とご声援を賜りますれば、幸いに存じます。