中村時広

昭和35年1月25日生まれ
趣味/読書、スキー、バドミントン
尊敬する人/福沢諭吉
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時の風 中村時広がお届けする発行紙「時の風」

1998年12月号 愛媛初・知事選公開討論会

全国一の保守王国

愛媛県は全国屈指の保守王国と言われている。
人口あたりの自民党党員比率は全国一位、国会議員は全員自民党所属という現状を見ても、その実体が裏付けられよう。その成立過程において主役を務めたのが、元愛媛県知事・白石春樹氏(故人)である。
戦後の混乱期、当時県会議員であった同氏は、幾多の政争を経て、実力者として頭角を現してくる。
同氏が作り上げた体制とは、県行政を頂点とし、周辺に自民党県議団を配置、各地域選出の県議を通じ市町村を管理するという封建的ピラミッド体制であった。後にご自身が知事に就任、国会議員も県政に関しては口を出せない独特の政治風土が完成される。
自民党県議団が圧倒的多数を占める県議会は、本来の行政チェック機能を失い、行政のサポート機関へと性格を変えていった。
こうした体制は、混乱・復興期という時代背景と、白石氏の独特のキャラクターあればこそ、成り立つものであったことは間違いない。

目の上のたんこぶ

白石県政も4期16年でその幕を閉じ、当時副知事を務めていた県政生え抜きの行政マンである伊賀貞雪氏が、後継者として新知事に就任した。時を置かずして、伊賀氏は独自路線を模索、白石色を一層するために様々な行動を起こし始める。
必然的に自民党県議団の中に、伊賀派対白石派の対立の種が芽生えていくが、この10年間、伊賀知事は2人の実力県議と連携することで自民党県議団を掌握、これが思石となり、白石派の動きが表面化することはなかった。
体制は一見盤石に見えていたのであるが、今年に入り、その2人の実力県議が相次いでこの世を去り、自民党県連の押さえがきかなくなる。
県議の主導権争い、白石派の思い、国会議員の思惑など、不協和音が一気に噴出、分裂劇の幕が開いた。

あー割れちゃった

38名の自民党県議団は、新人擁立は21名、現職支持派11名、第3候補擁立派6名に3分裂した。
また国会議員団は新人擁立派5名、現職支持派2名、模様眺め(現職寄り)1名となった。
8月23日、元文部官僚・加戸守行氏が立候補を表明、自民党に対し推薦願いを提出する
。8月29日、その取り扱いを議題として、自民党県連大会に代わる意志決定機関として位置づけられている。
県議団による常任総務会が召集された。
現職支持派と第3候補擁立派は、推薦却下で利害が一致、この問題に限って共闘が成立し、会議は罵声と怒号が飛び交う修羅場と化したが、最終的には21名対17名の多数決で、加戸氏推薦が決定される。
すぐさま蚊帳の外に置かれた現職支持派の県連会長(国会議員)が記者会見を実施、この決定に対する無効声明、及び臨時県連大会の召集を発表した。

別次元の思惑

保守王国と言われるだけあって、前述べたように愛媛県は8名の国会議員全員が自民党所属と言われる現状にある。 人数が多いだけに、衆議院選挙小選挙区比例代表並立制度が導入されて以来、各議員の椅子取りゲームは激化している。 前回の選挙では、全員の当選枠を確保できず、一人が衆議院から参議院へ弾き飛ばされた。弱肉強食である。 誰かが引退すれば、それだけ調整がしやすくなる。 また、長年の悲願である、国会議員による県政への介入という思いを持った者も存在しよう。

知事選挙の根底には、こうした国会議員の議席確保を巡る感情も潜んでいるのだ。

にぎやかな前夜祭

県連大会に話を戻そう。加戸派は常任総務会の決定を党本部に上げ、本部は反対派の無効陳情を無視する形で、臨時大会前日に党の正式推薦を決定する。
党本部の後押しの背景には、加戸氏及び白石元知事と、森善郎自民党幹事長の人間関係が深く関わってくる。
森氏はその昔、愛媛県選出のある国会議員の秘書を務めた経験があり、その時代に白石氏と繋がり、また文部大臣として、加戸氏とも繋がりをもっていたのである。
一方の伊賀派も、同じく大会前日に正式に出馬表明を行い、一触即発のムードが漂う中、9月15日、臨時県連大会が開会された。

これぞ玉虫色!

臨時大会当日は、自民党支部代議員1200名が参加、実に4時間に渡って議論が展開された。
そして最後に決まったことが、
1,党の分裂回避
2,常任総務会の経過はあるも、本大会では何人も推薦しない、
3,県連組織の知事選利用禁止、といった点である。
解釈を巡って、加戸派の議員達は「常任総務会は有効だから加戸氏推薦決定」、
反対派の議員達は「推薦無しだから自主投票決定」をそれぞれ主張した。
まさに玉虫色、いかにも自民党らしい内容である。

おいらもやるぞー

10月12日、第3候補擁立派が記者会見、県会議員の一人である藤原氏が出馬表明を行い、保守3分裂選挙が確定した。
その出馬を巡っては、最後まで現職別働隊の噂が一人歩きしていたように思う。 もちろん、真偽のほどは定かではないが、 1,同氏が立候補することで反現職票が分散、
2,次期衆議院選挙への布石 3,現職派県連会長との連携、 などの噂が広範にささやかれていた。 いずれにしてもそのデビューが中途半端であったため、激戦の中で埋没する結果となってしまった。
もしあの時に6人の県議が集団で自民党に離党届をたたき付け、背水の陣を引いて県民に訴えれば、全く異なる結果が生まれていたように個人的には思う。 野党陣営では、社民党がいち早く加戸氏推薦で名乗りを上げ、民社協会、民主党愛媛、公明党と比較的スムーズに加戸氏推薦体制が整っていった。
現職他薦の問題や、野党軽視の現職の姿勢がその布石となっていた。 しかしながら、労働組合はそれぞれ地域選挙だけに複雑な利害があり、加戸氏支持で一本化することは出来なかった。

加戸さん支援決定

こうした中、私自身も共産党をのぞく全陣営から支援の要請を受けることとなった。 当時の私は、誰を応援する以前に、個人的確執や権力闘争が全面にでて、候補者の政策が埋没していることに対する不満を感じていた。
その一方で、政治家である以上、これだけの選挙を前に、見て見ぬ振りもできない。 政治家としての、胆力が試されているのである。 だからこそ、前回でご紹介した公開討論会にこだわったのである。
当日、私は聴衆として候補者を比べさせていただいた。 自分の言葉で話されているか、政策に具体性があるか、広い視野を持たれているか、 といった点を注視し、そして加戸氏支援をを決めさせて頂いたのである。

目的はなんだ?

さて、選挙結果である。
まず何よりも驚いたのは、予想を覆す高い投票率であった。
正月選挙の設定は、形式的には選挙管理委員会が決めることになっている。
しかし、委員の任命権者は現職知事であり、その意向が強く働くことは否定できない。
では、正月選挙が設定された目的は何であったのだろうか。
もちろんこれは推測であるが、ほぼ間違いないと確信する。
それはズバリ、投票率の低下である。
正月であれば、滞在的に反現職票多いと思われる転勤族や学生といった浮動票が居なくなる。
選挙そのものに対するシラけムードが高まり、相乗効果で投票率が低下、権力によって動く組織票がモノを言うといった考え方であろう。
しかしながら、有権者は全く反対の姿勢を示したのである。
「意地でも選挙に行って、県政を変える」、選挙中、そんな言葉をあちこちで耳にした。
思惑は完全にハズれたのである。
現職に不利になる正月選挙はもう二度と日本では行われないであろう。

愛媛は変わるか

盤石を誇った伊賀県政はかくして崩れ去った 振り返れば、白石元知事への対応で政治に離反者を作り、県庁内選挙運動事件で行政に離反者を作り、正月選挙設定で一般県民に離反者をつくった。
サッカーで言うオウンゴールを、3発たたき込んだようなものである。
それをアシストしたものこそ、「権力のおごり」ではないかと思う。
「稔るほど、頭を垂れる稲穂かな」
選挙当日、テレビ画面で敗戦の弁を語る知事の姿を見て、ふとこの言葉が頭を横切った。
しかしながら、堅実な行政手腕には、評価すべき点が多いことも事実である。

だからこそ、あえて申し上げたい、
「伊賀さん、12年間ご苦労様でした」と。