中村時広

昭和35年1月25日生まれ
趣味/読書、スキー、バドミントン
尊敬する人/福沢諭吉
座右の銘/至誠通天

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時の風 中村時広がお届けする発行紙「時の風」

1998年10月号 金融システムパート2

日本経済は今、どのような状況に置かれているのであろうか。
貿易収支は順調に黒字を叩き出しているのに、国内マスメディアには戦後最大不況の文字が踊っている。

現段階では、大多数を占めるサラリーマンの給料も、高齢者の年金受給額も劇的に下がったわけではなく、価格競争によって物の値段が下がったぶんだけ、むしろ暮らし向きは一時的に楽になっている。

だからこそ、国民全体に、漠然とした将来に対する不安感は芽生えてはいるものの、本当の意味での切迫感は生じていない。

しかしながら、これまで幾度となく指摘させて頂いたように、税制、財政、医療政策などの分野における政治の政策ミスに加え、
年金制度などに対する不信感が重なり、個人消費が一気に冷え込んでしまっている。

そして経済全体が縮小、デフレ経済の扉に片足を踏み入れている。

企業は売り上げ減少に悩み、人件費のカットまで視野に入れた、リストラ策の徹底に取り組まざるをえない。

とりわけ、「護送船団」という甘えの構造の中で育ったことで、脆弱な体質が身についてしまった金融機関は、国際化の荒波も
同時に受けて、なす術もなく立ち往生している。

海を越えて

日本は持たざる資源を輸入して、外国の基礎技術を応用することで付加価値の高い加工製品を生産、それを輸出することで経済成長を遂げてきた。

その課程で蓄積された技術力は、今なお世界有数の水準にある。

だが、経済の潤滑油である金融システムがガタつくことによって、こうした力強い分野まで足を引っ張られ、経済全体がぐらついている。

それ故に、金融システムの安定化をぬきに、経済の回復はありえない。

先週号では、もっぱら国内に目を向けて、金融問題発生の原因を述べさせて頂いたが、実はこの問題は国外にも目を向けなければ、真の姿を解明することができない。
そこで今号では、国際金融の中で、日本がどのような立場に置かれてきたのかということを中心に、問題を掘り下げて行きたい
と思う。

あっと驚く・・・

私が商社マンとしてビジネスを行っていた中で、忘れられない出来事の一つに、「プラザ合意」がもたらした、1985年の超円高がある。

数年の間、1ドル=240円で安定していたものが、突如として一気に150円まで上昇したのである。

当時アメリカは、財政赤字と貿易赤字という双子の赤字に苦しんでいた。

財政赤字は1981年に債務国に転落して以来増え続け、現在は1200兆円の規模にまで膨らんでいる。

日本も600兆円で大騒ぎしているが、その2倍の規模である。

もっともアメリカは昨今の好景気の影響で、99年度には赤字国債の発行はゼロ、
単年度で財政均衡を達成し、これからは減少に転じると思われる。

一方、貿易赤字は平均で年13兆円、その半分が対日貿易赤字である。

この金額を巡って、日米貿易交渉の場で、日本に対する対米輸出規制要請、
日本製品に対する輸入課徴金などなど、毎年アメリカとの厳しい交渉にさらされ続けたのであるが、なかなか結果はでなかった。

あの手この手で

そしてアメリカは、この二つの問題を解決すべく、別の手を打ってきたのである。それが金融政策である。

1985年9月、前に記したプラザ合意により、日本の円高容認がそれとなく宣言されてから、急速な円高が始まった。

もちろんその流れは、日本の輸出力の強さを反映した自然なものであったとも言えるが、いずれにしても、日本の輸出産業は多大な影響を受け、あるものは淘汰され、あるものは生き残るために徹底したリストラ、あるいは工場の海外移転などの行動が加速していったのである。

ごっつぁんです

今一つは日本に対して、低金利を徹底的に誘導させることであった。

アメリカの目的は、日本の資金を、国内に取り込むことにあった。

アメリカの金利を高めに設定して、日本から米ドル預金の形で資金が流れ込むようにしたのである。

それまでも日本の稼いだお金は、半ば強制的にアメリカ国債購入に当てられ、資金は環流していたのであるが、日本の金利を低
めに誘導する事で、さらに潤沢な資金がアメリカに流れてゆくこととなった。

ここに今日まで続く日本の低金利政策の秘密がある。

国内では国民の金利収入が激減し、金融機関に莫大な利益が移転され、不良債権償却の財源に充てられた。

現在、日本に蓄積された外貨準備高は2000億ドル以上を数える。

しかしながら、他の先進国が一定の比率を金で保有しているにもかかわらず、日本の場合は別表の通り、その大半を外国為替、
主にアメリカ国債で保有している。

仮に、日本政府が、30年前に30年ものの米国債を購入したとしよう。

当時は一ドル360円、現在は一ドル約130円、つまり日本には、購入時の3分の1しか返ってこない。

円高になれば、その分アメリカに所得移転が起きるという仕掛けだ。

横綱対幕下

こうしてみると、アメリカ政治の巧妙な戦略と、日本政治の貧困がくっきりと浮かび上がってくる。

少し乱暴に言うなれば、コツコツ働いて稼いだお金は自由にならず、相手に差し出し、返ってくるときには、その価値が激減す
るということだ。

私は決して反米ではない。むしろこうした壮大な戦略を持つアメリカ政治に感心する。
そして、日本政治の弱さを痛感する。

ビジネスの世界では駆け引きは当たり前であり、商社マンたちはその最前線で堂々とアメリカとも渡り合う。

長期的な対外戦略を持たず、ただアメリカに追従し、ひたすら国内の利権を追いかけてきた自民党政治に悲観せざるをえない。

また、親米派と言われる日本の政治家が、スマートでもっともらしい理屈を以て、アメリカの水先案内人の役割を果たし、日本
に莫大な損失を与えていることに失望を感じる。

もうこれ以上

個別の貿易交渉で、経済大国日本の追撃に失敗したアメリカは、その戦法を完全に超円高と低金利戦略に切り替えた。
この間、外国人投資家たちは強い円と低金利を背景に、積極的に日本の株式を購入、日本の株価が高騰してゆく。

そして1990年、彼らは一斉に高値で売り逃げてゆき、日本の株式大暴落へとつながっていった。

その後もこの流れは止まらず、1995年に為替は1ドル70円台に到達、金利はとうとう0.5%まで低下していった。

日本の輸出企業は崖っぷちに追い込まれた。

この年はある意味で本当に日本の危機であったといえる。

さすがのアメリカも、これ以上日本が弱体化すれば、自国にもその影響が飛び火すると判断、ようやく政策を転換する。

一九九五年後半を境として、ドル高路線が実施されることとなり、円は100円台にまで戻っていった。

この時にアメリカとの間で、低金利維持、財政出動、円高未放置を確認し、
その先に、日本の金融ビッグバン路線受け入れのレールが敷かれたことは容易に想像がつく。

日本に蓄積された、1200兆円の個人資産をねらった、本格的な外資系企業の上陸作戦が練られたのである。

日本は強し

しかしながらこの10年の攻防戦で、日本経済、なかんずく金融システムは完全に疲弊してしまっていた。
これに対する日本の政治の処理能力も問われ、今度はその流れに歯止めが利かなくなり、昨今の円安へと発展していったのである。

日本は物づくりにおいては、いまだに世界トップクラスである上、資産も潤沢に国内に蓄積されている。

問題は、潤滑油である金融システムである。

この点で、他の国々とは決定的に違った立場に立っていることを、忘れてはならない。

行き過ぎた円安は、日本の輸出競争力を一層高めることで、アジア諸国に打撃を与え、各国通貨の引き下げ要因となるだろう。

また、日本の経済動向は、その規模の大きさゆえに、世界経済に多大な影響を与える。

だからこそ、足かせとなっている金融問題を、速やかに解決しなければならない。

そしてそれは、その場しのぎの政策ではなく、国際的駆け引きにも翻弄されない長期戦略を持った、したたかな政策でなければならない。
日本の未来の姿は、政治次第でいかようにも変わる。

だからこそ、過去のしがらみで左右される政治は、決して許されないのである。