中村時広

昭和35年1月25日生まれ
趣味/読書、スキー、バドミントン
尊敬する人/福沢諭吉
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時の風 中村時広がお届けする発行紙「時の風」

1997年6月号 朝鮮半島見分録・燃える38度線

今月号では、先週に引き続き、年金問題を取り上げる予定であったが、過日、韓国へ出張し、貴重な見聞の機会を得たので、内容を変更して、朝鮮半島情勢を報告させていただきたいと思う。

ここ最近の新聞記事を拾ってみると、北朝鮮の深刻な食糧不足、北朝鮮幹部の黄書記亡命(韓国では帰順)、北朝鮮による日本人らち疑惑、北朝鮮から日本への麻薬密輸疑惑、韓国との竹島(韓国では独島)領土問題、従軍慰安婦問題、韓国大統領子息の逮捕劇など、半島関係のニュースが目白押しである。

また、38度線をめぐる情勢は、北朝鮮の経済破綻情報に端を発したさまざまな憶測が飛び交う中、南北の衝突や、北の崩壊と言った不測の事態への可能性をも含めて緊迫の度を増しており、目を離すことができない。

苛酷すぎる歴史

朝鮮民族は「恨」(ハン)の民族と言われている。しかしそれは、日本人が一般的に思い浮かべる「うらみ」とは異なるものであり、ある人によればその意味は、「積もり積もった情念と、それを何とか晴らしたいという切なる願い」と解釈している。

歴史を振り返れば、その思いの一端が見えてくる。

朝鮮半島は、13世紀の高麗王朝時代には、6度にわたる「モンゴル帝国」の進攻の後、服属を強いられ、14世紀の李氏朝鮮時代は「明」の支配下に置かれた。

16世紀末には、2度に渡って、豊臣秀吉の命を受けた加藤清正を先頭とする「日本」の侵略を受け、これをくい止めるが、その回復を見ないうちに、今度は「清」の侵入を受け、属国とされた。

近代に入ると「清」、「ロシア」、「日本」という大国の思惑の中で半島は翻弄されつづけ、日進、日露戦争を経て、ついにはに本に併合、国家そのものが消滅させられる。

太平洋戦争終結後は、「アメリカ」と「ソ連」に分割占領され、やがてそれぞれの後押し受けた国家が樹立、同じ民族が、そして肉親が分断され、「韓国」と「北朝鮮」が38度線を挟んで睨み合うこととなった。

1950年6月25日未明、突如として北朝鮮軍が南進し、朝鮮戦争勃発、「韓国」には「アメリカ」を中心とする連合軍が、「北朝鮮」には途中から「中国」の義勇軍が参戦、半島は2度に渡って両軍にローラーをかけられ、凄まじい戦禍を残したのである。

やがて戦況は膠着し、1953年、ソ連の提案で休戦協定が締結され、今日に至る。

行く先々で聞かされる北の脅威、民族統一への悲願、厳しい対日感情などは、こうした重苦しくも、痛ましい歴史の知識なしに、理解することは出来ない。

このような歴史の歩みの中で、半島はいつしか、日本から見れば、近くて遠い存在となっていった。

大統領は神をも超える?

韓国大統領の任期は5年で、再任は禁止されている。
任期制限の見返りに、日本では想像もつかないような強大な権限が大統領に与えられているため、その力は「神にも勝る」とまで形容される。

その「神の座」を巡って、これまでも選挙の度に、凄まじい権力闘争が繰り広げられてきた。
そして今年、大統領選挙の年を迎えるに当たり、政界は大揺れに揺れている。

数年前からいくつかの政治スキャンダルが表面化、元・前大統領の逮捕劇に始まり、現在は大統領子息が逮捕されるにいたった。その裏側に、「神の座」を巡る権力闘争の影が見え隠れしていることは言うまでもない。

また、地域対立の問題も見逃すことが出来ない。

金泳三大統領はかつての「新羅」(しらぎ)南部に当たる慶尚南道、元・前大統領は「新羅」北部に当たる慶尚北道、金大中氏は「百済」(くだら)に当たる全羅道出身で、4世紀の3国時代、その後の李王朝時代の歴史を延長して睨み合っているとも言えよう。

北朝鮮は、かつての「高句麗」に当たる。

参議院廃止!だが今は

議会はどうであろうか。韓国国会議事堂は、
入って左側が衆議院、右側が参議院の議場となっている。

現在、参議院の議場が使われることはなく、扉は堅く閉ざされている。

過去には日本と同様、衆・参二院制度を採用していたが、「祖国統一までは効率が優先」の掛け声の下で、統一実現までの条件つきで、なんと参議院を廃止してしまったのである。

当時の韓国政治家たちの、私利私欲を超えた、ほとばしる活力を偲ばせる話である。

しかしながら、現在は、そうした活力を失いつつあるようだ。面談していただいた、金・衆議院議長も、かねのかかる選挙、冠婚葬祭に追われる日常活動などで政治家が本業を忘れ、当選至上主義に陥っている現状を嘆いておられた(日本と変わらぬ現状に驚愕)。

何かが起こる

このような結果として、汚職事件が続いたり、あるいは国民の目をそらすために、
韓国の政治家たちが政治的に、
必要以上に、反日カード、対北カードを切ると言う悪循環に陥っているのではないかとも思える。

また、国民の政治意識が高いからこそ、政治の現実に失望し、
若い人を中心に、政治離れが進むと言う皮肉な結果にもなっている。

特に現職大統領は、初の文民大統領として、政治浄化実現への期待が高かったが故に、(就任時の支持率90%)、今回の子息逮捕劇の反動は計り知れないものとなるであろう。

現職陣営は、失地回復のために、反日問題を先鋭化させるのか、或いは「北」との対話をドラマティックに前進させるのか(年内に金泳三大統領の北朝鮮訪問実現の可能性を探っているとの噂もある)、大統領選挙を控え、今年中に何かおきる予感がする。

地上の楽園の今

韓国サイドの北朝鮮に対する現状認識については、元韓国情報部北朝鮮局長・康仁徳氏との貴重な出会いのなかで、大まかな概要を知ることが出来た。康氏は現在、ソウルで極東問題研究所を主催され、北朝鮮問題分析の第一人者として活躍されている。
北朝鮮の食糧事情、経済事情は、韓国にもたらされている情報を聞く限り、極めて深刻な状況にあるようだ。

食糧問題を巡る北の発言、貿易実績、多発する亡命事件とそこからもたらされる情報、衛生写真から見る電力の使用状況など、裏付け情報は枚挙にいとまが無い。

現体制が経済的崩壊に向けて、着々と時を刻んでいるとの見方が支配的である。

しかしながら、相互監視体制を隅々までゆきわたらせた北の社会システムにおいては、
国民の不満が疎引き適格台紙、体制を変える運動まで繋がるのかどうかは疑問である。

変化が起こるとするならば、政権内部からの崩壊という形になるであろう。

政治は人なり

こうした危機的状況が続く中、北朝鮮のトップと言われる金正日氏は、権力時のために、軸足を完全に軍部においていると見られているが、意外にも、康氏は軍部への傾斜イコール危険と言う見方は否定された。

北朝鮮の軍部でも、中間世代は近視眼的であるが、第3世代は、海外留学などを通じて近代教育を受けているため、戦力の冷静な分析や、海外情勢の判断が可能と見ているである。

更には、職種で見れば、現場を知らない政治将校は危険であるが、現場を知る作戦将校は、戦争の怖さを理解していると見ている。

北朝鮮の動きを予想するためには、この2つの尺度を持って、人民武力省など、軍の主要ポストにいかなる人物が就任しているのかを分析することが、極めて重要となる。

また、北朝鮮では、ここ最近、食糧難や経済事情の悪化から国民の目をそらすため、意図的に内部で緊張状態を煽ってきた傾向が見られる。

そのため、些細なことが、不測の事態へと繋がって行く素地があることだけは認識しておかなければならない。

いざ、国境地帯へ

康氏からご紹介いただいた韓国赤十字事務所長のご案内で、北朝鮮との国境地帯、「板門店」に向かった。

物々しい警備、ショルダーバッグ感覚で携帯される機関銃、張り巡らされた鉄条網、道路の所々に設置されたコンクリートの門(有事のに、これを爆破して、道路からの侵入を妨害)など、日本ではお目にかかることのない光景が続く。

国境地帯では、ポプラの剪定を巡って、北朝鮮軍兵士に米軍兵士が殺害された、「ポプラ事件」の現場が見えた。また、国境の先には、豊かさのシンボルとして北朝鮮が建設した、「平和の村」の住宅街が広がる。

時折、人が行き交うが、不思議なことに、建物には日常生活の匂いが、全く感じられない。

韓国政府統一院の施設の屋上に上り、正面に建設されている北朝鮮の「板門閣」の覗いていると、入り口で警備に当たっている兵士が、双眼鏡でこちらの様子をうかがい始める。

しばらくすると、数人の兵士が建物から出て来て、我々の写真を撮り始めた。その瞬間、自分の心の中に、国境地帯特有の、張り詰めた緊張の風が吹き荒れた。

芸術品は並ぶ

国境地帯からの帰路、北朝鮮が南へ向けて掘り進んできた地下トンネルを訪れた。

1974年に第1、75年に第2、78年に第3トンネルが発見されている。

今回見学した第3トンネルは、北朝鮮からの亡命者に情報提供によって発見されたものである。

当時、亡命者より、トンネルは9本は存在するとの情報がもたらされた。

韓国サイドでは、現在20本のトンネルの存在を予想しているそうであるが、今日まで、この3本以外は確認されてはいない。

地下73メートルに掘られたトンネルに辿りつくには、発見するため作られた側道を、約500メートルほど降りてゆかねばならない。(帰りのことを考えるとゾッとした。)

第3トンネルは人間がやっとたって歩ける程の大きさであった。

ところどころに、北朝鮮側からダイナマイトを仕掛けた後が、生々しく残っていた。

あまりにも空虚な空間、いったいどんな人間が、いかなる思いを抱きながら、
こんな地中深くを掘り進んできたのであろうか。

国境地点では、二人の韓国軍兵士が直立不動で立っていた。地下73kmのトンネル内国境ラインで、24時間体制で警備に当たる韓国兵の後ろ姿は、そこはかとなく空しく、そこはかとなく悲しい。

イムジンの流れ

非武装地帯を超え、車窓から外を眺めていると、鉄条網の向こうに、穏やかに流れ行く河が見えた。

子供のころに聴いた反戦歌のひとつで、北の人々が、南北にまたがって流れる河に思いを乗せて口ずさんだと言う望郷の歌、「イムジン河」を思い出す。歌詞をかみしめているうちに、なぜ同じ民族が敵対し、憎みあわねばならないのか、他国のことながら、そこにいたった政治の責任、その下でもたらされた多くの人の不幸を思わずにはいわれなかった。

これらのことが、日本から空路でわずか一時間半の地で起こっていると言う現実を、我々日本人はもっと知らねばならないのではないかと思いつつ、ソウルを後にした。