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過日、ひょんなことから高知県知事・橋本大二郎知氏に、二人だけでお会いする機会を得、約1時間、貴重なひと時を過ごさせて頂きました。
かねてより、当選のいきさつや、その後の行動力、そしてたとえ実兄が最高責任者であろうとも、国の政治の矛盾に対しては率直に物を言い、たとえ実兄が総裁であろうとも、地方議会において自民党にいたずらに迎合しないその姿勢に、少なからぬ関心を抱いておりました。
また、私の知人と同氏との出会いと言うものが、一層の興味をもたらしこともあります。
その知人とは、和紙人形の第一人者の内海晴海先生という方で、先生は2年ほど前に、「平家物語」を題材にした作品を完成し、全国キャラバンを実施されました。
松山におきましても同作品は伊予鉄そごうで展示され、大好評を博しましたので、ご覧になられた方もいらっしゃるかもしれません。
松山での展示を終え、作品は高知へと舞台を移してゆきました。
その高知の展示会場に、橋本大二郎氏本人が一般客として来られ、直接、内海先生とお会いされたとのことでした。
先生はその時、次なる作品、「空海」の構想について語られたそうです。
それから2週間後、先生のもとに、高知県産の和紙にしたためられた、橋本氏からの直筆の手紙が届きました。
内容は、高知の紙産業の歴史、空海と四国の縁をとうとうと語った上で、次回作品の最終保存地として、高知県を考えてほしいとのお願いだったそうです。
作者の心が動かされないはずがありません。
この作品は最近、HNKの全国版でも取り上げられましたが、現在、東京都と高知県、2ヶ所での展示が決定していることが。先生の気持ちを表しているように思えます。
今回の面談中、この内海先生のお話を唐突にさせて頂きましたが、しっかりと認識されていたことは言うまでもありません。
6年前、名もなき県民の、新しい県政を求めるささやかな思いが、やがて燎原の火のごとく広がり、その県民の純粋な熱意が橋本大二郎氏の心を動かしました。
そして、「草の根運動で確たる選挙組織もなく、ましてや地元と縁もゆかりも無い同氏が、地方で受け入れられるはずがない」という大方のプロの予想を裏切って、圧倒的勝利で橋本大二郎氏が誕生しました。
以来、今日に至るまで、現在の地方自治制度の枠組み、高知県自体のスケールの限界の中で、常に高知県から外に向けて情報発信をしようと、精一杯の試みをされているように見受けられます。
もちろん、僕自身が同氏のことを詳らかに知っているわけでもありませんし、あらゆる政策がすべてすばらしいと言うつもりは毛頭ありませんが、官官接待の全面的廃止、国の一律減反政策への造反、情報公開への取り組みなど、おかしいと感じたことに対して速やかに、かつ堂々と行動を起こす姿勢については、大いに共感するものであります。
それ故に、変化を嫌う保守的な地方政治の土壌においては、相当な反発も起こりうることは容易に想像のつくところであり、言葉の端々に、理想を追求しようとするトップの責任感と、その中でもたらされる緊張感がひしひしと伝わって参りました。
我が国の地方政治の現状は、「国や他見の動向を見極めながら」と言う議会答弁に集約されるように、権限も財源も中央に集中しており、地方それぞれの個性が自由に発揮できる体制とはいえません。
県レベルにおいては、独自財源は20%、市・町・村レベルにおいては46%、平均で30%、これが3割自治と言われる所以であります。
だからこそ、残り70%のお金の獲得を目的に、年末なると、かつてのお江戸への参勤交代を忍ばせるような大陳情団が、東京に押し寄せることになるのです。
そのようなシステムの下では、必然的に、「無難」「円滑」「手堅さ」といった環境が整えられることになり、
地方自治の活気、活力は失われてゆきます。
もちろん、こうした体制がすべて悪いというわけではなく、戦後の混乱期から経済成長を遂げるまでの時期においては、全国共通の社会基盤整備が焦眉の急であり、資源の平均的で効率的な分配を行うために、中央集権的な体制が効果的であったことは間違いありません。
しかしながら、成熟社会を迎え、国民意識も多様化し、地方行政も独自性を問われる時代に移り変わろうとしているのです。
橋本大二郎氏は言います。
「これまでの地方の首長は、国からの補助金を少しでも多く獲得するために、自分の地域がいかに遅れているか、いかに高齢化が著しいか、いかに過疎化が進んでいるかということを、競い合って主張してきたところがあります。
ある意味では、地方政治は国だよりで、随分と楽をすることができたとも言えましょう。
しかし、その結果として、そんな魅力の無いところに入られないと言うことで、人々は離れてゆき、地域はすいあたいしてゆきました。
他方、地域に自立を求める地方の時代もすぐそこまで来ています。
だからこそ、これからの首長は、自分の地域がいかにすばらしいかを競い合って主張してゆかなければなりませんし、そう言えるように知恵を絞って魅力ある地域作りをしなければなりません。
その知恵が、裾野から湧き出てくるような仕組みを作ることが大切なんです。」
これまでの日本の地方自治制度の本質と限界、やがて訪れる地方の時代におけるリーダー像などが浮かび上がります。
橋本大二郎氏は言います。
「しがらみはないから、公平で思い切ったことが出来ることは事実でしょう。
年月を重ねるごとに様々な人との出会いがあり、最初の選挙では関係のなかった組織や団体からも、あちら側から応援の声を寄せて頂けるようになります。
応援しないでもいいです、というのもおかしな話でありますから、自然体で応援していただく、そのような積み重ねで様々なつながりというものができてゆきます。
しがらみイコール腐敗というわけではありませんが、その積み重ねを考えると、首長と言うものは、ある程度の任期で区切る方がよいかなと思います。
また、人間の精神は、この立場がもたらす緊張感に、無制限に耐えられるものではありません。」
個人の権力欲の薄さと、それに反比例する並々ならぬ使命感、並びに途切れることのない全力投球の姿勢を合わせ持つ、同氏の人間像が滲み出ます。
そこには実兄の首相とは全くタイプの違った政治家の顔があります。
氏のような感覚が、現在の地方政治に即なじむのかといえば、それは難しいかもしれませんが、時代の流れは間違いなく氏のような感性を持った首長を求め始めていると思います。
そういった意味において、橋本大二郎知事は、一足早く誕生した、次世代型の知事のような気がします。
地方の時代と呼ばれて久しく年月が流れ、地方分権論議も活発になり、現在、少しづつ、権限、財源の地方への移譲が進み始めています。
今の段階では、地方分権が進めば、これからは個性的な地域作りが出来る、地方に活力がもたらされるなど、良い面ばかりが強調されておりますが、一面ではそれは真実ではあるけれども、逆の面が潜んでいることを忘れてはなりません。
地方分権は、実は地方の政治、行政にとっては大変な試練でもあります。
国の事業メニューから取捨選択をして、補助金を分捕り合うというこれまでの制度の下であるならば、ほかの地域を横にらみしながら、同じような事業をやっていればすんで来た訳でありますから、極端な話、首長が誰であれ、最低限のことは無難に勤め上げることができたといえます。
だからこそ、これまでの地方の首長選挙においては、「国とのパイプ役を」というお決まりのスローガンが、
主役を務めてきたのです。
しかしながら、本格的な地方に時代においては、首長の想像力、企画力、行動力、人脈など、トップの総合力が地域の未来を決定づける重要な要因となってゆきます。
首長キャラクターが、地域の浮き沈みのカギとなってゆくのです。
「国とのパイプ役」をなるスローガンを掲げる地方政治の候補者は、時代遅れの候補となってゆきます。
地方分権を進めるに当たっての一番の問題は、委譲される強大な権限、財源を受け入れられる準備が、
地方に整っているかどうかということです。
残念ながら、現段階では時機尚早と言わざるを得ないのではないでしょうか。
地方に権限、財源を移すに当たっては、少なくとも、以下の6つの点の改革の検討が必要と思います。
1 市町村のミニマム単位の設定
2 県の役割の明確化
3 地方選挙制度の抜本的改革
4 情報公開制度の徹底
5 自治体オンブズマン制度の導入
6 首長の任期制限(多選禁止)
その準備が整わないうちに地方分権を進めることは、一歩間違えれば、強大な独裁者なるものを地方に誕生させることになりますので気をつけねばなりません。
このように本格的な地方の時代においては、首長に誰が選ばれるか、その結果が、地域や住民にこれまでとは比較にならないほど直接跳ね返ってくるようになります。
別の言い方をすれば、選挙を通じて、まさに住民の目が、地域の将来を決することになるのです。
先週号で、これからの時代のキーワードは、国、企業、個人、どのレベルにおいても「自立」「独立」「自己責任」であると書かせて戴きました。
地方、首長、選ぶ住民という点においても、それはあてはまると思うのです。
以上、今回は、橋本大二郎氏との出会いから、地方の政治というものを考えて見ました。